2018年05月28日

42日目 ひとは何かの歯車になっている


 ひとはみな何かしらの歯車になっている




家庭の歯車になっていたり 会社の歯車になっていたり




その人の立場によって歯車の形は変わる




歯車というのはあくまで全体を支える部品の一部であり




そのもの自体は大きな力を持たない




大きな力を持つのはあくまで歯車の集合体であって




歯車ひとつでは何の役にも立たない




例えば夫が働いていたとする



そして妻は家で家事をしている




この家族を例にとってみると




夫は生活費を稼ぐために会社で働いている




妻は夫をそして家庭を内側から支えるために家事をしている




この場合全体は家族であり家庭である




全体を支えるために夫はお金を稼ぐという歯車になっており




妻は全体を支えるために家事をするという歯車になっている




そしてどちらかがいなければ全体としては成り立たなくなる




なぜなら全体というのは歯車の集合体であるから




一個人 ひとつの歯車では全体を動かすことはできない




これは絶対である





歯車 ひとつひとつには役割がある




そのひとつひとつが組み合わさって初めて全体が全体として機能する




何かが欠けるということはその欠けた部分を何かで補わなくてはいけない




会社を例に出すと




誰かが辞めたとなればその人の与えられていた仕事を誰かがやらなければならない




要するにひとつの歯車に対する負荷が重くなることを意味する





歯車とはすなわち役割である




仕事とは何かを支えることであり それが誰かの役に立っている




仕事に 立場に本来 大きさなどはない




小さかろうが 大きかろうが何かの一部であることには変わりはない



凄さとは数であり 質とは深さである



歯車が多ければ多いほど全体を大きく動かすことができる




そして歯車が少ないけれどもそのひとつひとつの質が高ければ




数を質で補うことができる



ひとは必ず何かの一部になっている




そのことを忘れているひとが驕りたかぶる




自分が歯車の一部ではなく全体であると思い始めたら




大切なものを忘れかけている時だと僕は思う




ひとはどこまでいっても どんなに偉くなっても どのような立場であっても




何かの歯車という一部分であるということを




忘れてはいけない



                             以上














posted by こへちろ at 18:23| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

41日目 時間の使い方


 時間というものは生きているものすべてに平等に与えられている




そしてどのように使おうがそれは一個人の自由である





時間というものは面白いもので




嫌いなことを1時間やるのと 好きなことを一時間やるのとでは感じ方が全然違う





時間というものは曖昧なものでもあるが




これほどひとをコントロールしてくれる概念は時間以外にないと思う




もし時間という概念がこの世に存在していなかったのなら




今頃地球は無くなっていたことだろう




時間はひとを縛るものではあるけれど




反対にひとを自由にするものでもある




ひとの感情というのは時間という概念が存在しなければ感じられないものだと僕は思う




なぜなら悲しい 嬉しい 苦しい 楽しいといった感情はすべて





時間の内に存在する出来事に触れて初めて感じ得るものだから




きっと時間というものは本当の意味でひとを自由にさせてくれるものだと思う




時間がない 時間がないというのは単に自分に与えられた時間を増やそうと考えているから




時間は平等に与えられているけれど




人それぞれ生活している環境が異なっている




だから人と同じ時間の使い方じゃいくら時間があっても足りなくなる




もし何かやり遂げたいのなら今いる環境で自分にあった時間の使い方をしなければならない




時間を新たにつくろうとするのではなく




与えられた今ある時間を何に当てるかを考えたほうがいい




結局今ある時間以上に時間があったとしても今時間を当てられないことに取り組めるわけがない




時間は増やせばいいわけではない




平等に与えられた時間を 




今いる環境で




何に対して




どのように使うのかがすごく重要なこと




一番大切なことは過ごした時間をどのように感じたのか





そして時間というものは与えられた範囲内で好きなように自由に使えるということ




だから忙しかろうが 忙しくなかろうが




何か一つでも物事を続けるということによって




ひとは時間がどういうものかわかってくる




時間にただ流されるのではなく 時間の中は自分で自由に漕ぐことができるということを





忘れないこと




時間を使うというのはおかしな表現で





時間は本当の意味で無くなることはないが




増えることもない




だから時間を何かに使うのではなく





何かを時間にあてることこそが




本当の時間の使い方だと僕は思う









































 






posted by こへちろ at 14:08| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月25日

40日目 一人の人間として


 一人の人間として異性を見ることはあまりないと思う




どうしても異性というだけで意識してしまうのは仕方のないこと




特に好みのタイプならば尚更意識してしまう




目線が合わせられなかったり その人を前にしたら普段どうりでいられなかったり




多分それは自分を良く見せようという意識が無意識の内に働いているからだと思う




特に意識していないひとには普段通りでいられるのに




意識しているひとには普段通りでいられない




そうなるのは素の自分が受け入れられるのかがわからないから




人間は自分を受け入れてくれるひとを好ましく思う傾向がある




そして変に意識してしまうのはその人の外面を意識しているからだと思う




かっこいいとか可愛いとか




そういうのは正直人間関係としては二の次




確かにかっこよければ 可愛ければいいに越したことはない





ただ一人の人間として自分が向き合った時




一対一で向き合った時



上辺は正直関係なくなる




かっこいい 可愛いなんてのはあくまでアクセサリーのようなもの




一人の人間としてその人と向き合った時そんなのはどうでも良くなる





アクセサリーは見せびらかすためにあるようなもの




ひとを見る時に大切なのは自分以外に対してどう接しているかということ




もしそれを見てその人のことを好ましく思ったのなら




自分もこうしてもらえるのかなという意識が働いたということ




そして自分もあのようにひとに接してみようと思う




それが一人の人間として相手を見ることだと僕は思う




だからひとにどう思われるか意識してしまう時はひとの外面を意識していないか




よく考えてみるといい




相手にも自分のような感情があるということを忘れてはいけない




そしてその意識が一対一で人と向き合う時に大切になってくる




だから緊張したり 怖くなったり 嬉しくなったり 悲しくなったり




という感情は自分だけが持っているわけではないと





僕はいつも意識している



                                      以上














posted by こへちろ at 17:26| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする