2018年05月24日

39日目 慣れ

 

 慣れというものは不思議なもので




慣れるまでは大変なのだけれど慣れてしまえばどうってことないもの





前まで出来なかったことが出来るようになる過程では意識していても




出来るようになったら意識していないのは本当に不思議




それが気づいたら出来るようになっていたということなのだろう




だから過程ってのはものすごく大切なんだと思う




だって気づいたらゴールしていたってすごく損な気持ちになる




例えるなら埼玉〜北海道まで飛行機で行くか電車やバス、フェリーで行くかという例え




飛行機なら目的地まで直行で行けるけれど乗り物を乗り継いで行くとなるとどうしても時間がかかる




目的地まで最短時間で行くのか それともゆっくり過程を楽しみながら行くのか




それを決めるのはひとそれぞれだけれども



どうせなら道中をじっくり味わいたいと僕は思う




ひとはどんなことにも慣れることができると言える




慣れることができなかったのは途中で止めてしまったから




慣れるということは今まで目標が目の前にあったのに




いつの間にか消えてしまっている





まるで霧のようなもの




目標が目標でなくなるということかな




いずれにせよ慣れというものはあるようでないようなもの




だから振り返ってみて今こうしていられるのはあのようなことがあったからだなと思えるなら





慣れる過程をしっかり踏んできたということだと思う




                               以上



























posted by こへちろ at 16:57| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月23日

38日目 気遣い

 

 気遣いというのは相手を思いやることである




それも相手の立場になって考えることが重要で




自分本位なものは気遣いではなくなる




自分本位なものは全てその場を繕うようなもの



ないよりかはマシだと思うだろうけれど




変な 余計な 自分本位な気遣いはないほうが断然いい




相手にも逆に気を遣わせることになるし



遣われる方ははっきり言うと迷惑だと思う




気遣いというのはする前から相手に悟られてはいけないもの




はっきり言うと悟られている時点でそれは気遣いではなくなる




そういうのは良くも悪くも相手に伝わっている




何が言いたいのかというと気遣われる立場というものがあるということ




変に気遣われると逆に気遣われた方が気遣うことになる




見え透いた気遣いをするというのは自分が相手によく思われたいという心理から来ている




本当の気遣いというのは本当にさりげないもの




もしくは相手が一方的に思っているもの




本当の意味で気遣いというものは言葉では表現できない




された方しか気づいていないものが真の気遣いだと僕は思う




そして気遣いというものが存在するということは




迷惑を知らず知らずのうちにかけていること




ひとは知らない間に迷惑をかけている





そして知らない間に誰しもが誰かを気遣っているということを





忘れてはいけない 




                                        以上




























posted by こへちろ at 19:00| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月22日

37日目 怒りをかんじるとき


 怒りを感じるときというのは




大抵自分の思うようにいかなかったとき




あれもこれもと欲張って結局何もかも中途半端になるのは




怒りという感情のなせる技で





結局ひとは怒りという感情に支配されると




だんだんと周りが見えなくなってゆく




そしてそれは周りに当たるという形で表現される





本来ひとは優しくいたい生き物だと思う




けれども生きていればストレスを嫌でも感じるし




仕事をすれば思うようにいかないこともある




仕事は基本自分を押し殺すことで成り立つことなので





怒りをコントロールできないひとは続かなくなる




結局現代社会では利用される側と利用する側に分かれる




どちらの立場も怒りという感情を持つことからは逃れられない




ただ利用する側の立場のひとが利用される側をどう思うかによって




利用する側の心情は変わる




そして利用される側にどう対応していくかで利用する側の資質が問われる




怒りを感じたときにそのままストレートに当たれば当然当たられた側の人間は





そのまま怒りを返すはず





本来怒りを表現する場面でどう対応するかでその人の人柄が表れる




回りくどい言い方をするひとや




相手の立場になって怒りを表現するひと




いろんなひとがいる




結局生きるということは我慢比べをするようなもの




我慢でなくてもいいけれど




怒りにどう向き合うかでひとは決まると思う




怒りはけしていいものではないけれど




ひとがひとでいるために必要な感情の一つであることは




偽りのない事実である




だから怒りを感じたときはまず何に対して感じたのか




よく考えること




自分に厳しくするということは自分を押し殺すことでもある




怒りを流すことは社会で生きる最も大切なことではないかと僕は思う





                                          以上

posted by こへちろ at 18:36| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする