2018年05月18日

仕事 33日目 ありがとうと感じる時


 ありがとうと感じる時はどういう時だろうか




何かしてもらったときひとはありがとうと言葉に出す




だけれどそれは何か自分の求めているものを満たしてくれたときに出る言葉でしかない




本当にこころからありがとうという気持ちになるときは




自分で気づいていなかった部分を満たしてくれたとき




意表を突かれることにひとは感動しやすい




そしてこころに響きやすい




ありがとうという言葉は不思議な言葉で




ひとのこころの隙間を埋めてくれる




いやこころを満たしてくれるといってもいい




本当のありがとうとは打算で手に入るようなものではない




ありがとうという言葉は本来もらうものではない





与えるものである





いつの時代も変わらないものは優しさで





ありがとうという言葉は最上級の優しさだと思う




してあげて返って来るありがとうはいつも返って来るとは限らない




だから思いもしなかったありがとうはすごくこころに響くしこころに残る 




言葉のありがとうも行動のありがとうも同じもの




行動のありがとうとは寄り添うこころから生まれる





その人の立場になって考えることが本当のありがとうを生み出す




だからありがとうは本来返ってこないもの




だけれど本当のありがとうは思いもしないときに返って来る



こころからありがとうと感じれたのなら




それはいつか自分が与えたありがとう




返ってこないけれど返ってくるものそれがありがとうという言葉であり行動である





 generationsの「空」という曲 いい曲だと思って何回も聴いています   




                                            以上






































posted by こへちろ at 16:55| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

仕事 32日目 出会いとは

 
 今日は5時30分〜11時30分




人は出会いによっていい方にも悪い方にも進む




それは偶然であろうが必然であろうが変わらない




いつ出会ったかはさほど重要ではなくて




出会ったことによって自分という価値観がどう動いていくのかが重要になってくる




出会いというものは正直よくわからない




ただ今の自分という存在は今まで出会ってきた人たちが作り上げたもの




今まで出会ってきた人たちの誰か一人でも欠けていれば今とまったく同じ自分にはならなかっただろう




価値観も変わっていただろうし人の見方も変わっていた




そう思うと出会いというのは不思議なもので





偶然というものをあまり感じさせない





出会いは全て偶然と思っているうちは何も変わらない




というより変わろうとしない




出会いが全て必然だと思えるのなら



いい意味で自分と向き合ってきた人だと思う




いいなと思う出会いがあったということは



数え切れないほどの無関心な出会いがあったということである



だからこそ一つ一つの出会いを大切にするべきだし



自分の価値観に触れない出会いというものはないと思う




いい出会いというものは意識していない時の方が起こりやすい




なぜなら意識の外側からやってくるから




意識的な出会いは過度に期待してしまう自分がいるため




期待外れな出会いになりやすい




結果不満が残りそれを消耗品のような出会いと思ってしまう




本当の出会いというのはいちいち結果に左右されない




期待外れだとか 最悪な出会いだったと思っているうちはわからない





いい出会いというものは自分を成長させてくれる




偶然に意味はない 必然にも意味はない




意味というものは本来自分で付け加えるもの




だから最初から意味のある出会いなどない




だから偶然か必然かという議論は二の次で




自分がその出会いに対してどう感じたかが一番大切




そして出会いは自分を見つめることのできる




最良のものであると僕は思う





                                        以上









posted by こへちろ at 16:26| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月16日

仕事 31日目 孤独と孤立

 
 今日は6時〜12時まで



孤独というものは寂しいものである




人間は本来孤独の耐性を持たずに産まれている




だから寂しく感じるのは当たり前のこと




不思議なもので長く生きれば生きるほど孤独になってゆく




それは人が本来孤独であるということを無意識のうちに認識しているから




大人になるにつれて自分と違った価値観 考え方 に嫌でも触れてゆく




そうしていくうちに自分という自己が確立されていく




それが孤立というもの





人は孤立しているものを蔑む




集団心理とはそういうもの




孤独同士がつるむと他者を馬鹿にし始める




いや孤立しているものを蔑む傾向がある





多数派の心理として自分にできないことをやってのける人は




全てが非難の対象




孤独の集団とはお互いがお互いをどこかで利用している




お互いがお互いにないものを求めている



寂しさは集団の中では埋められない




寂しさを埋めることはできないが共有することはできる




孤独同士の関係は絶対に続かない




寂しさを受け入れるということは容易なことではない




自分と向き合うことは孤立への道を突き進むこと




孤独からは誰も逃れられない




それを知っている人というのは優しさというものを知っている




孤立するということは恥ずかしいことではない




むしろそうある自分を褒めるべき




いつだって誰かにすがりたくなるけれど




心の中ではわかっている




孤独でいることは求め続けるということ




孤立するということは受け入れること




孤立することは勇気のいることだけれど



孤独の集団に負けてはいけない




孤独の集団とはないものを求める亡霊のようなもの




孤独とはないものねだり




孤立とはあるものを大切にできる心構えのこと




孤立は本当の寂しさを教えてくれる





そして孤立だけが寂しさを乗り越えられる力であると断言できる




だから一人でいることは恥ずかしいことではない




そして誰にもできることではない




だから何かの対象になりやすいのだと僕は思っている




                                       以上



















posted by こへちろ at 16:07| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする