2018年05月06日

仕事 21日目 運がいい 悪い


 こんにちは 今日は5時30分〜11時10分




僕が今日から亡くなられた方の分の仕事をやることになりました




なのでこれから毎日5時30分からになる




このことについて




亡くなられたことは別として 僕自身チャンスだと思った



新しい仕事を覚えられるから




亡くなられた方の担当だった仕事を任されるということは




この3週間真面目にやってきたからだと思っている




もちろんそれだけではないけれど



できないことを任そうとは普通思わないし



できるから任せてくれたと思っている




調理を担当できるということは素直に嬉しい



チャンスはいつ来るかわからない



この件に関して上の方にやれるか聞かれた



即答でできます と答えた



そのように答えられたのは準備していたから



毎日4時に起きて体を慣らしていたし いずれそのような仕事がしたいと思っていたから



僕はチャンスをチャンスと見分けられた



人が亡くなっているのにチャンスとか言うなって言われそうだけれど



自分中心に考えればチャンスと言わずしてなんというのか



それはそれでこれはこれ



僕からしてみれば亡くなられたことは少しも嬉しくない むしろ寂しい



だけれど誰か代わりをしなくてはいけない 




それがたまたま僕だったってだけ



朝から働けることはすごく嬉しいし 今後のためになる



本当いつチャンスが来るかわからない




やるか聞かれた時に やらないといえばチャンスはなくなっていた



本来チャンスというのは自分のやるべきことがわかっている人の元にしか




やってこないと思っていて




やってこないというよりやってきたことに気がつかないだけなのだと思う



今回だって亡くなられたことは他人の問題で担当を任されるということは自分自身の問題



正直 人が亡くなられようが現実は止まらない 



悲しんでいようが明日は来るから




だからこそ自分と他人を区別することはすごく大切なことだと思う



他人あっての自分ならこれをチャンスとは言えないはず



けれども自分あっての他人ならこれはチャンスとしか言えない




運の善し悪しも結局のところ自分軸で生きているのか 他人軸で生きているのか




の違いだと思う




起こったことをどう捉えるか が運の善し悪しを左右する



例えば人が笑いかけてくれたとする



それを運の悪い人は馬鹿にされたと思う




運のいい人は笑いかけてくれているとそのまま受け取る



運のいい人は物事の捉え方が素直



運の悪い人は物事の捉え方がひねくれている



それは自分軸で生きているか 他人軸で生きているか




の問題であると思う



運がいい人は自分がバックグラウンドに沿って生きていることを知っている人




運が悪い人は自分がバックグラウンドに沿って生きていることを知ろうとしない人




なのではと思う




宝くじに当たることが運のいいことと思う人は多いと思う




それはそれで間違っていなくて




それも自分の背景をどう見ているかと その出来事をどう捉えるかの問題




何を大切にしているかで物事の捉え方も変わってくる



運がいいというのは自分が何を大切に感じるのかがわかっていること



運が悪いというのはただの言葉でしかない




運がいい以外は存在しないのだと思う



運とは雲のようなもの



捉え方次第でいろいろな見方ができる



それが運というものだと思う 



                             以上























posted by こへちろ at 16:36| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする