2018年05月13日

仕事 28日目 優しさとは


 今日は2時〜11時30分まで



優しさとは



自己犠牲だと僕は思う



自己犠牲という言葉はいい意味で使われることはあまりない




むしろ自分をないがしろにしているイメージが強い言葉



自分を犠牲にしてまで他者に尽くすということは




けっして褒められるようなものではない




なぜなら押し付けがましく感じるからだ




その人のためを思って行動したことが裏目にでることがある




それはその人のために行動したのではなく




自分のために行動したためである




どういうことかというと例えば人を可哀想だなと思うとする




ここで人は大体2択を迫られる




1つは手を差し伸べる もう一つは無視をする




一見手を差し伸べることは優しさに思えるかもしれないが




それは自己満足でしかないのかもしれない




もしかしたら無視して欲しいと思っていたかもしれないのに




手を差し伸べたことによってより一層可哀想になる




相手が求めているものと自分が与えようとしているものが




異なっている場合 優しさは自己満足でしかなくなる





優しさとは本来自分自身では感じられないもの




なぜなら優しさとは受け取った側が解釈するものだから




自分がした行為に対して俺って優しいなと感じるのなら




それは自己満足でしかないのかもしれない




逆に相手にしてもらったことに対して優しいなと思ったのなら



その優しさは本物だと思う




優しさとは本来与えるものではない




優しさを優しさと気づいた時点でそれは優しさではなくなる




誰にでも優しいと言われる人がなぜ恋愛対象になりにくいかというと




本来一番優しくしなくてはいけない自分自身をないがしろにしているから




それが自己満足という優しさの正体




そういう優しさを受けた方は正直鬱陶しく感じるかもしれない




自分をないがしろにしている人間から受ける優しさほど





鬱陶しいものはない





優しさとは自分に与えるもの




そしてそれができない人間は存在しない




自分を大切にするということは回りまわって人に優しくすることに繋がる




本当の優しさとは自分を労わること




自分に優しくできる人は他人に優しくしたりしない




自分に優しくできない人は他人に優しさという偽善を振りまく




自分を犠牲にしてまで他者に優しくすることは




恥ずべき行為である




人が本当の意味で優しさを感じる時というのは人が人に優しくしているところを自分の目で見た時である





なので優しさは与えるものではなく感じるものである




そして自己犠牲のうえに成り立つものではない




なぜなら優しさの解釈の仕方は人それぞれだからである




最後に優しさとは3人以上から成り立つ方程式みたいなものである




                                          以上



                              





























posted by こへちろ at 16:58| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする