2018年05月29日

43日目 自分の知らないところで

 
 ひとは自分が意識していないところで誰かの役に立っていることがある




誰かのために動いたわけではないのに何故かありがとうと言われる




確かに何かの 誰かのために行動したことで感謝されることはあっても





それは何かを与える対象がある前提の行動での感謝でしかない




ありがとうと感謝されることは嬉しいことだとは思うけれど





感謝される可能性が1パーセントでもある行動でもらうありがとうをもらうと





何故か申し訳ない気がしてしまう自分がいる




ありがとうをもらう前提で行動するのは窮屈に感じる




結局のところ行動というのはすべて自分のために行う動作だと僕は思う




だからひとのため 他人のため 誰かのためというのは




声に出していうことではない




というよりひとは本当の意味で誰かのために行動することはできない




ひとを助けたように見えても結局は自分を成長させたに過ぎない




本当の感謝とは自分の意図しないところから生まれるもの




そしてそのきっかけは日常に紛れている




ひとを助けることを偽善というひともいるけれど




結局偽善だろうが偽善じゃなかろうが




自分のために行動すればそんなものどうでもよくなる




難しいけれど自分のことばかり考えて行動すると犯罪者になる可能性は高くなる




ひとは自分の知らないところで迷惑をかけているし 感謝もされている




自分が意図しようがしまいが結局迷惑かけることからは避けられないし





かといって誰からも感謝されないわけでもない





そのことは絶対に変わることのない真実であると僕は思っている




誰かのためにする行動が自分を苦しめるのなら




それは間違いなく偽善である




ひとのこころの奥底では嘘はつけない




ひとは本当のところ自分のためにしか生きられないのだと思う




だからこそひとに優しくできるのだし 寄り添えるのだと思う




自分のため 誰かのためとか 〜のためというのはすべて




言葉あってのもの




医者 看護師 カウンセラー ボランティア 




元を辿れば目の前のひとを救いたいという本当の気持ちから




でた行動が今の職業として成り立っているのだと思う





だから助けるというのは烏滸がましい表現だとも僕は思う




会社員だって 料理人だって どんな職業であっても




自分の知らないところで感謝されているということを





忘れてはいけない




ありがとうという感謝の気持ちは口に出すことでも伝わるけれど




本来は言葉ではなく行動で示すものであったはず




ありがとうという行動は相手の反応を受け入れることだと僕は思う




だから自分の知らないところで感謝されるとすごく嬉しいし





誰かの 何かの役に立てたんだなという心からの充足感が得られるのだと思う




自分の知らないところで今日も誰かが何かを思っている





それはじぶんがどう思おうが変わらないこと





だからすべてとは言わないけれど




自分がこれは譲れないというものを持つべきだと僕は思う


        


                                   以上





                         


























posted by こへちろ at 18:12| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする