2018年06月26日

69日目 乃木坂46


 僕が乃木坂46に興味を持ったのは2017年の12月
それまでは全然知らなかったし、テレビで見てもなんとも思っていなかった
乃木坂が結成されたのが2011年なので興味を持つのが遅すぎたとも思っている
正直結成当初から興味を持てば良かったというのが本音
僕自身アイドルに興味をもったのはnmb48 9nine以来
乃木坂に興味を持ち始めた時にはすでに主要メンバーの何人かは卒業していた
その中でも深川麻衣と橋本奈々未は特に印象に残っているメンバー
深川麻衣は女優として活躍しているけれど橋本奈々未は芸能界そのものを卒業した
いまでも乃木坂に在籍していたのなら間違いなく握手会に参加していたと思う
乃木坂のメンバーははっきり言って可愛いというよりかっこいい
曲もほとんどが良曲だし はずれがない
「命は美しい」 「きっかけ」 「ガールズルール」あげればきりがないけれど
どの曲もほんとにいい
なにがいいのか自分でもよくわからないのだけれど
なんかいい
というより彼女たちが純粋に好きなのだと思う
それがアイドルという虚像というかたちであっても
その気持ちは変わらない
乃木坂46のメンバーたちははっきり言って違和感がない
繕っている感じがしない
可愛いから好きというよりも人として好きだなと思う
そして1期生 2期生 3期生の持つ雰囲気も違う
1期生はやはり格好良さが前面に出ている
どのメンバーも自分という軸を持っているように感じられる
よくいえば個性がある
そして可愛いというよりは大人という雰囲気
2期生は正直中途半端ではある
認知はされにくい印象
3期生は可愛らしい子が多い
1期生のもつ格好良さは感じられないけれど、3期生にしかない
可愛らしさがある
言い方を変えれば妹的な印象を受ける
誰かが卒業するということはグループであれば必ず起こりうること
最近では生駒ちゃんが卒業した
生駒ちゃんは子供っぽい印象を受けるけれど全然そんなことなくて
むしろ自分に正直だし自分の考えも持っていて
すごく人間としてかっこいいと思う
そういったメンバーが多いのが乃木坂46の良さだし
僕が乃木坂を好きになった理由の一つでもある
ちなみに1期生では井上小百合
3期生では阪口珠美が僕の推しメンである
そして一番好きな曲は「ないものねだり」
他にも好きな曲はたくさんあるけれど
強いて言うならばこの曲
それだけいい曲をもっているのが乃木坂46のよさの一つである    



                                      以上








posted by こへちろ at 17:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

68日目 見えざるもの


 僕は目に見えるものよりも目に見えないものの方により恐怖を抱く
直接何かを言われることよりも、影でコソコソ言われることの方がよっぽど傷つく
人には想像力という能力が備わっている
実際に存在していないものを存在していると錯覚できる
それが想像力というもの
この能力を駆使すれば人生を充実させることもできるし逆に人生をどん底に突き落とすこともできる
好んでどん底に落ちたいという人はいないだろうけれど
要は取り返しのつかないことにもなりかねないということ
世の中には犯罪を起こしても一切悪びれないひとも存在する
そのようなひとは想像力の力を使って世の中のルールを自分のルールに上書きしている
上書きすること自体は悪いことではないがそれによって誰かを傷つけることことこそが
世の中の悪いことに当てはまるのだと思う
犯罪の定義というのも曖昧ではある
細分化すればいじめだって陰口だって直接的な要因がなくても誰かを傷つけることは誰にでもあること
要は悪いことというのはその起こしたことに対してそれは悪いことだと感じるひとが多ければ多いほど
それは悪いことになる
逆にそれは大したことじゃないのでは 別に悪いことではないでしょと思うひとが多ければ多いほど
それは悪いことではなくなるということ
世の中というのはそういうものだと僕は思っている
表向きの世界は多数決の原理が働いていた 
だが近年いろいろな生き方 働き方が増えてきてかならずしもこうしなくてはいけないというものが
なくなってきている
それは同時に多数決で2択を迫られるのではなく3択も4択も選択肢を選べるようになってきたということ
見えざるものというのはかならず自分の中に存在していて目に見えるものではない
だからこそこれからは自分で考え 自分で判断することがより大切になってくる
多種多様なものが受け入れられることはいいことだが
同時にそれによって犯罪が犯罪で無くなるという日が来るかもしれないということも考えられる
ということを忘れてはいけない





 
 
posted by こへちろ at 19:58| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

67日目 親という存在

  
 親という存在 それは自分という存在を産み 育ててくれた人




だがしかし子供は親を選ぶことはできない





子供という存在は環境によって 親次第でいかようにも育つ





そして子供は育った環境で特に不足していたものを求めるようになる




それが親の愛情ならば 愛情を 貧乏であったのならお金を





家庭環境は人によって違うし 親の教育の仕方も異なる




そんな中で子供は育ってゆく




子供を産むということは性交をするということ





子供が欲しかろうが欲しくなかろうが





その行為をすることによって妊娠する可能性がつきまとう





子供が欲しいのに妊娠しない 子供が欲しくないのに妊娠した





理由がどうであれこの世に生まれたからには死を待たなければならない




子供には大きく分けてふた通りの育ち方がある





一つ目は親のようになりたいと思って 親を敬いながら育ってゆく生き方





2つ目は親のようになりたくないと思い 親を反面教師にしながら育ってゆく生き方





どちらにせよ親は良くも悪くも子供の参考になる




親のようにはなりたくないと思えば思うほど親と同じような道を歩むようになる





なぜならそう思わせる原因を作ったのが自分の親だからである





自分の親にも親という存在があったことを忘れてはいけない





親のようになりたくはないではなく




自分はどうなりたいのか 





そこをはっきりさせるべき






親がどうのこうのではなく






自分がどうありたいか それが子供に与えられた健全な選択肢の一つであると僕は思う





そして親というのは家系の代表者である





親に家系の全てが詰まっていると考えていい




親というものは家系の悪しき風習を一つでも無くすことが使命だと思うし





良い風習を一つでも作り出すことが親の役割だと思う





子供は親を選べないけれど生き方は選べる






親とは家系の歴史でしかない





そしてそれはかならずしも継がなければならないわけでもない





親という存在は言うなれば自分より先に生まれた存在にすぎない





本当のことを言えばただそれだけの存在





だから親はかならずしも偉いわけではない





そして敬わなくてはいけない存在でもない





一つだけ言えるとすれば親の元を離れることこそが唯一の自由を手にいれる方法であると僕は思う




                                                     以上























posted by こへちろ at 21:06| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする