2018年06月15日

60日目 ひとの本音はわからない

 
 ひとの本音というものは本当にわからないもの





表面上ニコニコしていても内心どう思っているかはわからない





笑っていても 怒っていても 泣いていても 喜んでいても 苦しんでいても





結局本人しか本当の感情はわからない





もしかしたら表面上は怒っていても 内心はそうではないかもしれない





そして怒っているのではなく何をしても笑っている人ほど怖い人はいない





そのような人は何を考えているのか見当もつかないし




怒る境界線を探ることも難しい




そしてそのような人が怒る時というのは大抵通常の人間には理解できない場面である





そんなことでと思うかもしれないけれどその人にとってはそこが怒りの沸点であるのだし






逆に通常の人間がそこで怒る場面はそのひとにとっては怒るに値しない状況かもしれない





人は持っている価値観も違えば 育ってきた環境も違う





親に虐待を受けて育った人 学校でいじめられて引きこもりになった人 





親に大切に育てられた人 友達に囲まれて育った人





色々な人がいる





そしてたくさんの価値観が存在するこの世界で




本音を晒せる人というのはほんの人握りだと僕は思う





本音というものは自分からみせない限り他者にはわからないもの





なので大抵の人には表面上合わせておけばいい




本音はわからないからこそ表面上愛想良くできるのだし





笑っていられる




結局他人の本心などどうでもいいのかもしれない





だから本音がわからないからこそ仕事や世間 そして世界はまわってゆけるのだと僕は思う




                                               以上



























posted by こへちろ at 16:39| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

59日目 感情は移りゆくもの


 人間とは面白いもので




さっきまでイライラしていたと思ったら次の瞬間イライラしていたことがどうでもよくなったりする





感情というのはその状況によってかたちを変える





逆に感情によってその状況の見方が変わる





そして大抵のひとがイライラすることでも、一部のひとにとってはイライラすることでなかったりする




嬉しい 悲しい 苦しい といった感情は全てのひとが感じることができるけれど




何に対してというのはひとによって違う





感情というのは曖昧であるし 同じ感情がずっと続くこともない





要は感情というものは一定ではないということ




感情は常に移り変わっている




移り変わりが早いひとのことを気まぐれと呼んだり 気分屋と呼んだりするが




そのような人たちは自分の感情に正直なのだと思う




生きていくうえで我慢というのは必要不可欠なもので




我慢しないで生きていけるひとなどこの世に存在しない




我慢というのは感情に不誠実であること




だから我慢をしすぎると色々な面で支障がでてくる





ただ感情に蓋をし続ける生き方がある一方で





感情に蓋をせずに生きていく方法もある




感情とは常に移りゆくもの




いい時もあれば 悪い時もある 腹立つ時もあれば 嬉しい時もある




それをいちいち態度に出していたらうまくいくものもうまくいかなくなる






もちろん嬉しい時は喜ぶし 悲しい時は泣いたっていい




ただいい意味でも悪い意味でも感情に飲まれてはいけない




そしてそれはどちらにしたって永遠に続くものではない




どんな状況にも終わりがあるように





どんな感情も永遠に続くことはない





だから嬉しいときや 楽しい時はその時を目一杯噛みしめるべきだし




苦しい時や 辛い時は泣けばいい




そしてイライラする時 腹立つ時は自分が見えなくならない程度に怒ればいい





なんにしても感情の奴隷になるのではなく





感情は移りゆくものであるということを




心の片隅に置いて生きてゆくことが





自分に正直に生きてゆくことだと僕は思う




posted by こへちろ at 17:10| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

58日目 小さなことの積み重ね

 
 嫌なことが積み重なると全てがどうでもよくなってくる





例えば休みなく働いたとする




ずっと働き通しで 寝る暇もない





そうするとだんだん頭がおかしくなってきて




普段通りの判断ができなくなってくる





引きこもりもそう




引きこもっている期間が長ければ長いほど





一人の世界に入り浸って、世間と自分との間に歪みが生じる





そして自分の世界が世間の認識であると錯覚する





そしてそれが世間でいう頭のおかしなひとということになる




どんなに偉くても どんなに優しくても どんなに慈悲深くても




ひとは積み重ねることによってどのようにも変わりうる




歴史的発明も 歴史的大事件も 戦争も 全て小さなことが積み重なって起こること





それらはそれが起きて初めて世間に認知されるけれど





実は認知される前からすでに起こっていると僕は思っている





つまり凶悪な事件 飲酒運転の事故 殺害事件





それらは全て何かが積み重なってきて起きたということ




試合で例えると





世間に大きく認知されるのは常に決勝戦である





けれども決勝戦に進むまでに幾多の試合を勝ち進んで来ていることは





決勝戦を見ただけではわからない






そしてもっと小さく見れば




チーム内でもレギュラーを決める熾烈な戦いがあるはず




そのように出来事という結果が出るまでに





いくつもの小さな出来事が起こっている




そしてそれは積み重ねてゆくごとに大きくなってゆく





結局大きな事件を起こすひとというのはすでに小さな事件を起こしているひとだし





大きな成果をあげるひとはすでに小さな成果をいくつもあげているひと





結果というのは常に起こるべくして起こっている





なので小さなことほど大切にするべきだし




少しくらいと思うことほど用心深くならなくてはいけない




小さなことが積み重なって大きなことが起こるのだから





                                             以上




















posted by こへちろ at 16:04| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする