2018年06月12日

57日目 毎日同じことの繰り返し


 毎日働いて 飯を食べて シャワーを浴びて 寝る





そんな日々を送っていると毎日が同じことの繰り返しで





つまらなくなってゆく





変化がないということは少なくとも生活が一定であるということになる





同じような日々が続けば続くほど





変わることに対して臆病になっていく





変化を取り入れることによって今までの環境は変わる





変わるということは周囲との軋轢を生じさせるということ





今まで仲が良かったのに 今まであんなに親切にしてくれていたのに




急に態度が変わったというのはよくある話





例えば仕事を始めて一週間で辞めるのと 三年働いて辞めるのとではわけが違う




前者は歯車がかみ合う前 後者は歯車がかみ合っていて一見必要不可欠のように見える





何が言いたいのかというとひとは周囲と自分がかみ合い始めれば始めるほど





周囲と馴染めば馴染むほど変化を恐れるようになるということ





今という日常が安定すればするほど





怯えなくて済むし 何かに追われるということも少なくなる





ただひとは常に変化を求めている存在であると思うし





安定に身を置いているとあとは死を待つのみであることを無意識に知っているのだと思う





毎日につまらなさを感じているのならあなたは心の中で変化を求めているということ





そして同じことを繰り返すことで気づくこともあるし 見えてくるものもある





その一方で同じ生活を繰り返すことでひとはいい意味でも悪い意味でもその生活に慣れてしまう





なので周囲に流されるのではなく




自分で考え 自分で決断して毎日を繰り返すべきだと僕は思う






                                       以上




















 






















posted by こへちろ at 15:26| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

56日目 雨の日

 
 雨の日というのはなぜこうも気分を害させるのだろう




特に雨プラス湿気が多いと最悪である




カッパを着て自転車を漕ごうものなら




外は雨に濡れ 中は汗で濡れる




雨の日というものは悪いことばかりではない





雨が降ることで水不足にならずに済むし




田んぼや畑にとってはありがたいもの





都会のひとにとっては雨というのは気分を害させるものだし





交通機関に大なり小なり影響を与えるもの





その一方で田舎のひとにとって雨という現象はありがたいものだと思う





田畑に水を自然に与えてくれるし





何よりひとの手が届かないところまで潤してくれる





雨が降りすぎると洪水や土砂災害といった自然災害が発生することがある





結局自然にとっては多すぎるとか少なすぎるというものは存在していなくて




降水量が多いというのは人間からみてということでしかない




全ては人間が判断していることで





自然にとっては洪水が起こるのも 土砂崩れが起こるのも





自然なことなのだと思う





雨の日というのは自然がいかに気まぐれであるかということに気づかせてくれ





人間という存在がいかに無力で 自己中心的であるかということを教えてくれる





雨は自然を潤してくれるけれど





人間を曇らせる





雨の日は晴れの日と比べてそう多くはないので





雨の日ほど自分を見つめ直すのにもってこいの日はないと思うし





自分の問題点が浮き彫りになりやすい日はない





だから雨が降った時は





文句ばっか言わず  少しは濡れて日頃の汚れを落としてもらうべきである





そして少しくらい感謝すべきである





                                           以上




















posted by こへちろ at 16:24| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

55日目 普段の姿


 私たちが普段見ている周りの人たちは




皆多かれ少なかれ偽りの仮面をつけている





いつも笑顔を振りまいている人や いつも怒鳴っている人




いつもオドオドしているひとや いつも焦っている人





自分が接するときはそうであっても





自分以外と接しているときは違うかもしれない




ひとは状況によって態度も 自分の見せ方も 振る舞いも変えている




普段の姿というのは自分が決めるものではなく




接している相手が決めるもの




なので自分では怒っているつもりはないのだけれど





相手にとっては怒っているように感じるというのは





自分が他者から見られているイメージ





つまり相手から見た普段の姿ということになる




そして他者からみた自分自身の普段の姿ではなく




自分が思っている自分自身の普段の姿というのは




あるようでないようなもの




ひとは一定であることはほとんどないし





ひとによって態度を変えるということは普通のこと




だからひとに平等に接するということは不可能であるし




会うひと会うひと全員に愛想を振りまく必要もない




ひとによって価値観は違うし 育ってきた環境も違う




だからこそ普段の姿というものは見るひと 接するひとによって




変わってくるものだし 全員が同じ印象を抱いているわけでもない




なので無理に周りに合わせる必要もない




時折 自分の本音の部分を晒すことにより自分を知ることにもなるし




相手にも自分を本当の意味で知ってもらえることになる




相手にどう見られているかを意識することも大切だけれども





それと同じくらい自分の無理していない姿を晒せるかということも大事になってくる




と僕は考えている





                                               以上






                                                    








posted by こへちろ at 16:36| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする