2018年06月06日

51日目 寂しさは本当の意味で自分以外の誰かでは埋めることはできない

 
 寂しさは生きていれば嫌でも感じる




クラスで一人孤立している時




家族の帰りを待つ時




一人でいる状況というのはひとを寂しくさせる




世間は一人でいることに排他的な傾向がある




学校でも一人でいるひとをいじめの対象にしたり





影で罵ったり からかったり





そのようなことをする人たちは寂しさを自分以外の何かで補おうとする




いじめでも一人でいるひとが一人でいるひとをいじめるということは





ほとんどないと思う




大抵は集団が一人をいじめる




一人でいることは弱そうに見えるかもしれない




いじめは相手を舐めているから起こるのだけれど




本当のところいじめる側が強いのではなく





いじめられる側の方が強い




そのようなことをいじめられる側は理解していないひとが多い




いじめる側は自分たちが弱い存在であることを無意識に理解している




だから自分たちは弱い人たち同士でつるんで



寂しさを補い合っているのに



あそこにいつも一人でいる奴はなぜ一人でいられるんだという一種の嫉妬を覚えるのだろう




ひとは弱い存在だし 脆い存在




それは誰であってもそう




いじめる側は本当は羨ましいのだと思う




いじめられる側の人間のことが




いじめる側もその人なりに苦しんでいるのだろうけれど




いじめられる側も苦しんでいる



何かが欠落しているひとはいじめる側にもなりえるし




いじめられる側にもなりえる




欠落しているものというのは親の愛情だと僕は思う




親の愛情を感じられていないひとは大きく2種類に分けられる




自分の外にそれに代わるものを求めるひと




自分の中にそれに代わるものを見出そうとするひと




どちらかが正しいわけではない




結局ひとは自分の人生をどう受け入れて どう向き合って どう感じるかで





どのようにも変化していける





寂しさをどう埋めようと 補おうとひとの勝手ではあるけれど





本当の意味で寂しさというものからは逃れることはできない




そのことを理解しているか していないかで




今後の人生というものは大きく変わっていくと僕は思う



                                       

                                          以上













posted by こへちろ at 15:40| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする