2018年06月23日

67日目 親という存在

  
 親という存在 それは自分という存在を産み 育ててくれた人




だがしかし子供は親を選ぶことはできない





子供という存在は環境によって 親次第でいかようにも育つ





そして子供は育った環境で特に不足していたものを求めるようになる




それが親の愛情ならば 愛情を 貧乏であったのならお金を





家庭環境は人によって違うし 親の教育の仕方も異なる




そんな中で子供は育ってゆく




子供を産むということは性交をするということ





子供が欲しかろうが欲しくなかろうが





その行為をすることによって妊娠する可能性がつきまとう





子供が欲しいのに妊娠しない 子供が欲しくないのに妊娠した





理由がどうであれこの世に生まれたからには死を待たなければならない




子供には大きく分けてふた通りの育ち方がある





一つ目は親のようになりたいと思って 親を敬いながら育ってゆく生き方





2つ目は親のようになりたくないと思い 親を反面教師にしながら育ってゆく生き方





どちらにせよ親は良くも悪くも子供の参考になる




親のようにはなりたくないと思えば思うほど親と同じような道を歩むようになる





なぜならそう思わせる原因を作ったのが自分の親だからである





自分の親にも親という存在があったことを忘れてはいけない





親のようになりたくはないではなく




自分はどうなりたいのか 





そこをはっきりさせるべき






親がどうのこうのではなく






自分がどうありたいか それが子供に与えられた健全な選択肢の一つであると僕は思う





そして親というのは家系の代表者である





親に家系の全てが詰まっていると考えていい




親というものは家系の悪しき風習を一つでも無くすことが使命だと思うし





良い風習を一つでも作り出すことが親の役割だと思う





子供は親を選べないけれど生き方は選べる






親とは家系の歴史でしかない





そしてそれはかならずしも継がなければならないわけでもない





親という存在は言うなれば自分より先に生まれた存在にすぎない





本当のことを言えばただそれだけの存在





だから親はかならずしも偉いわけではない





そして敬わなくてはいけない存在でもない





一つだけ言えるとすれば親の元を離れることこそが唯一の自由を手にいれる方法であると僕は思う




                                                     以上























posted by こへちろ at 21:06| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする