2018年06月17日

61日目 でるところはでて 譲れないところは譲らない


 世の中には大抵のことは笑って流してくれる人が存在する




そしてそのような人を怒らせる人も存在する





馬鹿にされても 笑われても 舐められても





いつも笑っている





この人どんな状況に出くわしたら怒るのだろうという人も存在する




そのような人は譲れない何かを持っているのだと僕は思う




そしてその譲れない何かを汚された時初めて表面に怒りを表す





大抵のことは笑っていられるのも





その譲れない何かが自分の人生を支えているから




人は何か自分の中で譲れないものを持つと強くなる





なぜなら何が自分にとって大事で 何が自分にとって不必要なのかが見えてくるから





譲れないものというのはわかりやすく言えば自分なりの価値観であって物質的なものではない





要は自分なりの軸があるひとはそれがあるからこそ笑って流せるのだし






そう簡単に怒りを表現することはない





ただ自分の本質的な部分が汚されるようなことがあればはっきり意思表示するし





そう簡単に引き下がるようなこともしない





何かあればすぐに態度に出すひとというのは余裕がない





なぜなら譲れないものを持っているわけでもなく 自分なりの価値観がはっきりしているわけでもないから





そしてそれは心に余裕がないということ




ひとは自分なりの軸を 価値観を持つと どうでもいいことに時間を割きたくなくなる





だからこそ笑って流せる余裕ができるのだし




むしろ自分に残された時間をどのように使うかを必然的に考えるようになる




そしてひとは譲れない何かを持って初めて自分の人生を歩み始めるのだと僕は思う






                                                 以上































posted by こへちろ at 16:03| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

60日目 ひとの本音はわからない

 
 ひとの本音というものは本当にわからないもの





表面上ニコニコしていても内心どう思っているかはわからない





笑っていても 怒っていても 泣いていても 喜んでいても 苦しんでいても





結局本人しか本当の感情はわからない





もしかしたら表面上は怒っていても 内心はそうではないかもしれない





そして怒っているのではなく何をしても笑っている人ほど怖い人はいない





そのような人は何を考えているのか見当もつかないし




怒る境界線を探ることも難しい




そしてそのような人が怒る時というのは大抵通常の人間には理解できない場面である





そんなことでと思うかもしれないけれどその人にとってはそこが怒りの沸点であるのだし






逆に通常の人間がそこで怒る場面はそのひとにとっては怒るに値しない状況かもしれない





人は持っている価値観も違えば 育ってきた環境も違う





親に虐待を受けて育った人 学校でいじめられて引きこもりになった人 





親に大切に育てられた人 友達に囲まれて育った人





色々な人がいる





そしてたくさんの価値観が存在するこの世界で




本音を晒せる人というのはほんの人握りだと僕は思う





本音というものは自分からみせない限り他者にはわからないもの





なので大抵の人には表面上合わせておけばいい




本音はわからないからこそ表面上愛想良くできるのだし





笑っていられる




結局他人の本心などどうでもいいのかもしれない





だから本音がわからないからこそ仕事や世間 そして世界はまわってゆけるのだと僕は思う




                                               以上



























posted by こへちろ at 16:39| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

59日目 感情は移りゆくもの


 人間とは面白いもので




さっきまでイライラしていたと思ったら次の瞬間イライラしていたことがどうでもよくなったりする





感情というのはその状況によってかたちを変える





逆に感情によってその状況の見方が変わる





そして大抵のひとがイライラすることでも、一部のひとにとってはイライラすることでなかったりする




嬉しい 悲しい 苦しい といった感情は全てのひとが感じることができるけれど




何に対してというのはひとによって違う





感情というのは曖昧であるし 同じ感情がずっと続くこともない





要は感情というものは一定ではないということ




感情は常に移り変わっている




移り変わりが早いひとのことを気まぐれと呼んだり 気分屋と呼んだりするが




そのような人たちは自分の感情に正直なのだと思う




生きていくうえで我慢というのは必要不可欠なもので




我慢しないで生きていけるひとなどこの世に存在しない




我慢というのは感情に不誠実であること




だから我慢をしすぎると色々な面で支障がでてくる





ただ感情に蓋をし続ける生き方がある一方で





感情に蓋をせずに生きていく方法もある




感情とは常に移りゆくもの




いい時もあれば 悪い時もある 腹立つ時もあれば 嬉しい時もある




それをいちいち態度に出していたらうまくいくものもうまくいかなくなる






もちろん嬉しい時は喜ぶし 悲しい時は泣いたっていい




ただいい意味でも悪い意味でも感情に飲まれてはいけない




そしてそれはどちらにしたって永遠に続くものではない




どんな状況にも終わりがあるように





どんな感情も永遠に続くことはない





だから嬉しいときや 楽しい時はその時を目一杯噛みしめるべきだし




苦しい時や 辛い時は泣けばいい




そしてイライラする時 腹立つ時は自分が見えなくならない程度に怒ればいい





なんにしても感情の奴隷になるのではなく





感情は移りゆくものであるということを




心の片隅に置いて生きてゆくことが





自分に正直に生きてゆくことだと僕は思う




posted by こへちろ at 17:10| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする