2018年06月07日

52日目 だんだんひとを好きになる

 
 最初はどうも思っていなかったのに




会う回数が増えるたびに妙な親近感を覚える




ひとは会えば会うほどその人を色々な意味で意識するようになる




この人にどう接しようだとか あの人にどう思われているのだろう とか




心の中ではどうでもいいと思っていても






どうでもいいと思っている時点で





意識しているということになる




ぶっきらぼうでも すかしていても 一人が好きでも




どんな人間であれ常に他者を意識していることは事実である




初対面からその人のことを好きになるという恋愛感情は長くは続かない




要するに見た目でひとを判断しているうちは何も続かない




恋愛であれ 通常の人間関係であれ




ひとを知ることは本来時間のかかるもの




最初の印象が悪くても だんだん時間が経つにつれ





その人のいい部分と悪い部分を知っていく




そうしてひとは他者を好きになったり 他者に対していい印象を抱くようになる




逆に最初の印象が良くても




時間が経つにつれ そのひとを嫌いになっていくこともあるが




それは仕方のないこと




だんだんひとを好きになるということは




その人のことをもっと知りたいということ





だからひとは付き合うのだし




恋愛をするのだと思う




恋人が欲しいと言っているのはそもそも知りたい対象がいないのに




付き合いたいと言っているだけ




それは言葉を変えれば誰でもいいから付き合ってと言っているようなもの




ひとを知るには時間がかかる




そして本来ひとを好きになるということも時間のかかること




だから好きという感情 恋愛したいという感情 恋人が欲しいという感情は




時間をかけた人間関係の中から生まれるものが正常であると僕は思う





                                        以上 












posted by こへちろ at 16:21| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月06日

51日目 寂しさは本当の意味で自分以外の誰かでは埋めることはできない

 
 寂しさは生きていれば嫌でも感じる




クラスで一人孤立している時




家族の帰りを待つ時




一人でいる状況というのはひとを寂しくさせる




世間は一人でいることに排他的な傾向がある




学校でも一人でいるひとをいじめの対象にしたり





影で罵ったり からかったり





そのようなことをする人たちは寂しさを自分以外の何かで補おうとする




いじめでも一人でいるひとが一人でいるひとをいじめるということは





ほとんどないと思う




大抵は集団が一人をいじめる




一人でいることは弱そうに見えるかもしれない




いじめは相手を舐めているから起こるのだけれど




本当のところいじめる側が強いのではなく





いじめられる側の方が強い




そのようなことをいじめられる側は理解していないひとが多い




いじめる側は自分たちが弱い存在であることを無意識に理解している




だから自分たちは弱い人たち同士でつるんで



寂しさを補い合っているのに



あそこにいつも一人でいる奴はなぜ一人でいられるんだという一種の嫉妬を覚えるのだろう




ひとは弱い存在だし 脆い存在




それは誰であってもそう




いじめる側は本当は羨ましいのだと思う




いじめられる側の人間のことが




いじめる側もその人なりに苦しんでいるのだろうけれど




いじめられる側も苦しんでいる



何かが欠落しているひとはいじめる側にもなりえるし




いじめられる側にもなりえる




欠落しているものというのは親の愛情だと僕は思う




親の愛情を感じられていないひとは大きく2種類に分けられる




自分の外にそれに代わるものを求めるひと




自分の中にそれに代わるものを見出そうとするひと




どちらかが正しいわけではない




結局ひとは自分の人生をどう受け入れて どう向き合って どう感じるかで





どのようにも変化していける





寂しさをどう埋めようと 補おうとひとの勝手ではあるけれど





本当の意味で寂しさというものからは逃れることはできない




そのことを理解しているか していないかで




今後の人生というものは大きく変わっていくと僕は思う



                                       

                                          以上













posted by こへちろ at 15:40| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月05日

50日目 思い通りにいかない時

 
 自分の思い通りにことが進まないことにイライラするのは




人間であれば誰にでもあること





イライラするのは起こった出来事が自分の許容量を超えてしまって





脳が処理しきれないからだと思う




ことが一寸違わず思い通りに運ぶということは皆無である




それなのにひとは理想を掲げる




こうなりたい ああなりたい こうしたい ああしたい



掲げるもの全てが思い通りになることはないけれど




ひとつくらいは思い通りになると思う



今は色々な価値観が受け入れられている時代だから



これはこうでなければならないというような




決めつけがあまりない




むしろ一つの事柄に対してたくさんのかたちが存在する時代




思い通りにことを進めようとする時ひとは掲げた理想に囚われるけれども




理想とは本来常に同じかたちであるということはない




雲のように少しずつかたちを変えていくものである



だから思い通りにことが進まないことは正しいことだと僕は思う




そして思い通りにことが進むことは異常なことであると思う




思い通りに行った時 確かな裏付けが存在するのならひとは成長しているが




その時 特にこれといったことをしていないにも関わらず 事が思い通りに進んで




いる時ひとは衰退している




思い通りにいかない時ほどじつは順調であり 思い通りにいっている時ほど





停滞していると僕は思う




思い通りにいかない時ほど選択肢が無数に広がっている




そして思い通りに行っている時ほど選択肢を自分で狭めてしまう




常に思い通りにいく人生ほどつまらない人生はないと思う




思い通りにいかない事が9割 思い通りにいく事が残りの1割




このくらいの割合がちょうどいいのかもしれない




思い通りにいくからいい 思い通りにいかないから悪い




訳ではない




結局心の持ち方次第であるし




むしろ思い通りに行っていない時の方が





人生は充実するもの




ひとは適度なストレスにさらされていなければ正常ではいられないし



思い通りにいかない状況にいるからこそ




成長し続けられるのだと思う




だから思い通りにいかない時は理想というかたちに囚われるのではなく




すこしづつかたちをかえていくというのも一つの道だと僕は思う





思い通りにいかない時にイライラするのではなく




むしろ思い通りに行った時ほどイライラするべきだとも思う




人生は思い通りにいく事の方が少ない



だからこそ自分の歩む道を 常に試行錯誤していくべきだし




結果ではなく 過程を見つめ続けるべきだと僕は思っている





                                          以上














posted by こへちろ at 15:01| Comment(0) | 統合失調症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする